岡山地方裁判所 昭和39年(レ)25号 判決 1968年7月18日
控訴人 浜田喜三郎
右訴訟代理人弁護士 小野実雄
被控訴人 小山篤子
<ほか一名>
右訴訟代理人弁護士 安井源吾
主文
被控訴人小山篤子に対する本件控訴を棄却する。
原判決中、控訴人と被控訴人竹内清との間の部分を取り消し、控訴人の被控訴人竹内清に対する土地境界確定の訴を却下する。
控訴人が当審においてした新請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。原判決添付別紙目録記載の甲地と乙地(以下、それぞれ単に甲地、乙地という)との境界は、別紙図面表示の(A)(B)(C)(F)の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。当審における新請求として、被控訴人らは、控訴人に対し、同図面表示の(1)(6)(5)(C)の各点を順次直線で結んだ地上および地中に存在する板塀とその基礎コンクリートを収去して、同図面表示の(A)(B)(C)(5)(6)(1)(A)の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(以下、単に本件土地という)を明渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は「本件控訴および控訴人が当審においてした新請求をいずれも棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の関係は、左記に付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(控訴代理人の主張)
被控訴人らは、控訴人所有にかかる甲地中の別紙図面表示の(1)(6)(5)(C)の各点を順次直線で結んだ地上および地中に板塀およびその基礎コンクリートを作って、同図面表示の(A)(B)(C)(5)(6)(1)(A)の各点を順次直線で結んだ範囲内の本件土地を故なく占有している。よって控訴人は、当審における新請求として、被控訴人らに対し、右板塀およびその基礎コンクリートを収去して本件土地を明渡すよう求める。
(被控訴人ら訴訟代理人の主張)
被控訴人竹内が別紙図面表示の(1)(6)(5)(C)の各点を順次直線で結んだ地上および地中に板塀およびその基礎コンクリートを作り、被控訴人らにおいて本件土地を占有していることはこれを認めるが、控訴人の所有にかかる甲地は、同図面表示の(1)(6)(5)(C)(F)(E)(D)(1)の各点を順次直線で結んだ範囲を出るものではなく、本件土地は被控訴人小山篤子所有にかかる乙地に属するものである。
(証拠)≪省略≫
理由
一、本件境界確定の請求について
(一) 控訴人が甲地を、被控訴人小山が乙地をそれぞれ所有し、両地が隣接していることは、当事者間に争がない。
≪証拠省略≫によれば、甲地を含む分筆前の岡山市愛宕下一五二番の一、地積二〇五坪四合三勺の土地は、従前より宅地であり、その南側は別紙図面のように東西方向に型の地形をなして乙地と接し、同地が田圃で甲地より二、三尺低かったため、その境界線に沿い石垣を設け、そのうち東側の乙地に向けて出張った部分には右石垣上にさらに一列に延石を敷いていたこと、その後大正の末か昭和の初頃、乙地も埋立てられ宅地に変ったが、右両地の境界はその地上建物などによって明瞭に区別されていたため疑問を生ずる余地がなかったこと、しかるに昭和二〇年の戦災にあい、右建物などが焼失して瓦礫の山と化してしまったため両地の境界が分らなくなったこと、そこで昭和二一年頃、当時甲地らの所有者であった訴外楠野至厚の依頼を受けてそれらを管理していた訴外小松原雄三郎と、乙地の所有者である被控訴人小山の祖母訴外小山ケイとが立会って、焼跡から従前の境界を探したうえ、当時境界とおぼしき線にそって積載してあった瓦礫の北側の線をもって甲、乙両地の境界なる旨確認しあい、そこに杭を打ち繩を張ったこと、その後昭和二五年にいたり被控訴人小山は乙地を被控訴人竹内に賃貸し、その際右小山ケイにおいて同被控訴人に対し、両地の境界を、前記確認の趣旨どおり、右瓦礫の北側の線である旨指示したこと、そこで被控訴人竹内は、この指示に従い右境界線上に板塀を建てたが、これは別紙図面表示の(1)(6)(5)(F)の各点を順次直線で結ぶ線上であり、現況のそれと同じ位置にあること、控訴人は昭和二七年に前記愛宕下一五二番の一の宅地から分筆された甲地を買受け家屋を新築したがその取得以来六年余を経過した後はじめて右境界について異議を述べるにいたったもので、それ以前前記確認以来一〇余年間、訴外小山ケイ、被控訴人小山篤子は隣地の所有者から該境界について苦情を言われることなくこれを占有してきたことを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
なお、≪証拠省略≫を総合すれば、別紙図面表示の(2)(3)点を結ぶ線の南側の道路から西に入る通路が接しているが、この通路はその奥にある岡山市門田愛宕下一五一番の五の土地と東西に連なるものであって、同所一五一番の三の土地の一部であり、乙地に含まれるものでないと考えられ(る。)≪証拠判断省略≫したがって乙地として実測されるべき範囲は、原審における鑑定の際指示した部分と同一であり、右の点の比較検討による結論も、原判決理由中のそれと同様であると判断するのでこれを引用する。
以上甲、乙両地に対する従前の長年にわたる占有状況そのよってきたる経緯等を彼此検討すれば、その境界は、現況どおり別紙図面表示の(1)(6)(5)(F)の各点を順次直線で結んだ線であると確定するのが相当であって、両地の公簿上の面積と地積との比較も、かく認定するうえで妨げとなるものではない。
もっとも、当審における検証の結果(一回)によれば、(1)別紙図面表示の(イ)(ロ)(ハ)の各地点において、いずれも、乙地の地表から深さ約四〇センチ、被控訴人竹内の板塀ないしコンクリート土台の北側から南方へ約三〇ないし四〇センチ入ったところで、一辺約一五センチ角の長い石材が東西方向に埋っていること、(2)同(ハ)点において、右角石材の下に、石垣ように石が並んでいること、(3)同(ロ)点において、煉瓦が二列甲地から本件土地にかけて右角石材と直角方向に並べられていたことを認めることができるが、≪証拠省略≫を総合すれば、戦災前の乙地上には三軒の借家が東西に並んで建ち、その南側の線はほぼ一直線で、その一部が、別紙図面表示の(2)(3)点を結ぶ直線より八〇糎北に入った同図面表示の(ホ)点上にかかっており、また右借家中一番東側のそれは、階下に六畳、四畳半、二畳、玄関および風呂場、便所があったこと、そのため同借家の北側の壁は、同図面表示の(1)(6)点を結ぶ線からほぼ一、二尺南寄に位置していたこと、この壁の下にも家屋の基礎石として長い角石材が使われていたが、それと前記の延石とは、はっきりした区別をつけにくいことが認められるから結局前記の各石材をもって、甲地にあった前記延石であるともあるいは乙地上の借家の基礎石であるとも断ずることはできないし、また、別紙図面表示の(ハ)点地下に石垣ように石が並んでいた点についても、当審における検証(一回)の結果によれば、控訴人主張の(B)(A)両点を結ぶ直線にそって右(ハ)点のほぼ東方延長線上にある同(イ)点において角石材の下まで掘ったのになんら石垣らしいものさえ存しないことが認められ、かたがた弁論の全趣旨に徴し、長年月の経過のうちに、両地の状況が変化したことをも考慮に入れるならば、右(ハ)点地下の石の存在、その形状等のみをもって直ちに従前甲、乙両地の境界線上に沿って作られていた前記石垣の石にほかならないと即断するわけにはいかないし、さらに、同(ロ)点において甲地から本件土地にかけ煉瓦が二列並べられていた点については当審における検証の結果(一回)に弁論の全趣旨を総合すると、右煉瓦は当裁判所が検証現場に赴いた時既に掘り出されておったことが認められ、果してそれが当裁判所の確定した前記境界線をこえて本件土地に入りこんでいたか否か疑問でありその他甲第一号証は、弁論の全趣旨に徴すれば、元所有者訴外楠野至厚が長く他郷にあって本件係争地の現況を見ないまま一方的に作らせたものであり、同第二号証の一の切図は、詳細を欠いている等、以上いずれの点も、そしてまたこれらを総合しても当裁判所の前記判断を左右することはできない。
(二) よって当裁判所もまた本件甲、乙両地の境界は原判決と同様、被控訴人ら主張の線であるとの判断に到達したところ、被控訴人竹内はすでに述べたように乙地の賃借人であり、この種訴において土地の賃借人は当事者適格を有しないと解するから、原判決中控訴人と被控訴人竹内との間の部分は、この点を看過して実体判断をした違法ありと言うべく、これを取り消して同被控訴人に対する土地境界の確定の訴を却下しなければならないが、被控訴人小山との間の部分は前記当裁判所の判断と結論を同じくするから、同被控訴人に対する本件控訴は失当として棄却を免かれない。
二、板塀等収去、本件土地明渡の請求について
既に判示したごとく、本件土地は甲地の範囲に帰属しておらず、その他控訴人はこれに対する権限をなんら主張立証しないので、その余の判断をするまでもなく、右請求は理由がなく、これを棄却すべきものである。
よって、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 裾分一立 裁判官 大下倉保四朗 笠井達也)
<以下省略>